113 二人のためのプライベートビーチ

113 二人のためのプライベートビーチ 1992年 505×693mm リトグラフ 額装価格: 400,000(税別)

バハマ諸島の有名な港町ナッソーに着いた。初めてのバハマ旅行なので少々興奮気味になっていた。島民と旅行者がダウンタウンに群がっていて、信号が赤にな ると人間がどっと道を渡って賑わいを加速させている。当然のことながら大渋滞を引き起こして、たちまちにして亜熱帯の風が街の喧騒の小さな塵と埃も一緒に 舞い上げて空中で白濁色に光らせている。島は音楽が好きだ。リズムは街を支配していて、店や道行く人々の手にしたラジカセや対向車の車窓から強烈に私に襲 いかかる。決して嫌味はない。むしろ体がリズムに合わせて動いてしまう。渋滞する車のクラクション。強烈なリズムと島民の黒い皮膚の香りが性的な興奮に私 を誘いたがっていた。ようやく街のハズレに30分程かかって移動して、ホッとして目に入って来たのがコンチ貝の街頭販売だった。真黒で真白な歯が笑って、 貝を手にして私に見せる。貝は大きくて貝殻の口は濃いピンク色をしていてエロティシズムそのものを感じてしまい、体の力がスーッと抜けていくのが感じられ た。刺激的なリズムや光景を静かに笑いながらやり過ごした私はホテルに着くと疲れて眠ってしまった。私が仮眠を取っている間にコーディネーターをしてくれ たカメラマンのJ君がホテルの前のプライベート・ビーチに行って来たと言いながら帰って来た。目を覚ました途端の最初に耳に入った言葉が、この美しい響き を持ったプライベート・ビーチという言葉だったので気分が良くなり、私も浜へ行くことにした。夕方に近い砂浜は、何もかもが美しかった。完全な美しさが、 あたり前のようにそこにあった。またしても体の力が抜けるのがわかる。そしてそこに佇んでいる私に、いま何かが不足しているなと感じさせるぐらいに美し かった。穏やかな長い坂を赤味がかった夕陽が、ゆっくりと降りて来て、砂浜に黄色く輝いて、今まで花で遊んだ人々の足跡が微かな風で丸く削れて、美しいパ ターンを見せてくれる。旅の醍醐味はこういう風景に完全に入ってしまうことなのではないだろうかと思う。そんな時に私に不足していたのは恋愛という情熱 だったのかもしれない。いや美しい女性だと思った方もいるかも知れないが、それはやはり形にすることの出来得ない恋愛という情緒だったのだなといまは想 う。ナッソーでの一日目に私はどうかしていた様だ。ダウンタウンの喧騒になかで空中に紛れ込んで仕舞った島民の使う怪しい媚薬でも、知らずに吸っていたの かもしれないなと思った。